-コラム-
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第71回
ひと言がお客様を笑顔にする
~勇気を持ってひと言を~
「またのお越しをお待ちしております」。それは居心地の良い高級なホテルで、滞在を終えてかけられた言葉のように、私の心に深く残りました。
実はその最幸の言葉をかけてもらったのは、早朝に空港に向かうため利用した、ホテル前に停まっていたタクシーのベテランドライバーでした。
乗った瞬間から、車内温度の調整や「朝早くから大変ですね」といった気遣いの言葉、「どちらからいらしたのですか」など弾む会話を一生懸命にかけてもらい、お陰で空港まで楽しい時間となりました。
そして、最終的に降りる時にかけられたのが初めの言葉です。会社から言わされたのではなく、一生懸命に自分で言葉を考え、練習したのではないかと思いました。
以前、冬の時期に駅まで送ってもらったドライバーは、道中に桜の名所を車中で案内され、最後に「次回はさくらのころに是非お越しください」と言葉をかけてくれました。タクシードライバーは、駅に、空港に降り立った観光客をその町の代表として真っ先に迎える人です。また、最後に見送る人でもあります。この方々が町の顔なのです。
先日乗った空港ターミナル間の連絡バスでのことです。「まもなく空港第2ターミナルに到着します。到着するまでは、もうしばらくそのままお席にお座り下さい。なお、大きなお荷物をお持ちの方は、前方の出口の方が若干段差も少なく、楽に降りていただけます」と案内がありました。大きなスーツケースを持って乗り込んだお客様と、そうでない人向けとに、個別にかけられたメッセージには、本当に驚かされました。
前方に移動して降りて行くお客様からは、ごく自然に「ありがとう」の言葉が、ドライバーにかけられていました。
たったひと言で良いのです。目の前のお客様に勇気を持ってひと声をかけること。その言葉によって、多くのお客様が幸せな気持ちになれるのです。これが、大切なおもてなしの行動なのです。
おもてなしとは、「もの」でサービスをすることではありません。また、行動や言葉が素晴らしくても、お客様にとって感動を創り出せないものでは不十分です。
いかに目の前のお客様の心にあなたの言葉や行動を残すかです。
そのためには「ひとりがやっても何も変わらない」や、「無駄だ」といった、あきらめた気持ちで行動するのではなく、「小さな光を私がお客様の心に灯す」という強い想いで向き合うことです。
その灯りはいつか大きな光となって、あなたや企業を照らしてくれるものとなります。お客さまに寄り添うひと言には、大きな力があります。
第70回
おもてなしのバトン
~ブラインドの隙間から~
とても楽しい時間を過ごせる、私の大好きなレストランがあります。過日行ったとき、1つの光景が心に残りました。それは、1人のスタッフが窓のブラインドを指で開けて外を見ていた一瞬のことです。その瞬間に私の身体に電気が走ったのです。彼が何を見たのかが分かったからです。そのレストランが東京青山のCasita(カシータ)です。
カシータはビルの3階にありますが、お客様を迎えるのは常に1階で、ビルの外です。3階から見える風景は、外でお客様の到着を待つそのスタッフたちの姿なのです。真面目に仕事をしているかチェックしているのではありません。外でお客様を迎えるスタッフは、雨の日や寒い雪の日、猛暑の夏の日も365日、お客様の到着をそこで待ちます。
停車するタクシーのドアを開けては声をかけます。お顔の分かるお客様が見えたら、走って迎えに行きます。キョロキョロと何かを探すように歩く方がいたら、声をかけに走っていきます。「少しでも早くお客様に逢いたい」。そんな想いから、その行動を取り続けているのです。
実はこの行動には意味があります。それは、これからレストラン内で過ごしてもらう時間を、最幸のときとするための仕掛けなのです。同じサービスであれば、お客様が入口で幸せな気分になった方が、食事の時間をより楽しく感じられるものです。
フロアスタッフも、お客様を迎えるための研修や準備を怠りません。一生懸命にお客様に喜んでもらえるよう、接客力を高め続けています。当日の接客行動を、お客様に輝いたものとして受け取ってもらうために、外のスタッフはがんばり続けているのです。
3階のスタッフが見た光景は、お客様の到着を一生懸命に待つスタッフの姿なのです。そのときに心に持ったのは、感謝の想いだと感じたのです。彼らの姿を見て、改めて今お客様に向き合う自分の行動に想いを込める。お客様を迎えるスタッフの努力を、リピーターという成果で応えるため、私もたまにブラインドの隙間から外の風景をみてみます。
そんなときに、逆に1階から3階を見上げるスタッフの姿を見るのです。「後は頼んだぞ」という想いが、こちらにも伝わってきます。上手くお迎えできなかったお客様もいます。逆に「ごめん。頼んだぞ」と、そんな声が聞こえたてきそうな気がします。これがおもてなしのバトンリレーなのです。
1人のお客様に高い満足、感動、感激を与えるためには、1人のスタッフの力では限界があります。互いの仕事を認め合い、全てのスタッフが1人のお客様をリピーターに創客する行動こそに、おもてなしの神髄があるのです。
第69回
伝える情報の差がおもてなし
~共に旅をする気持ちに~
「今のところとくに変更の予定は入っておりません」。台風が接近するなか、出張で搭乗する航空機の運航状況を確認したときの担当者からの返事です。毎年のことですが、この時期は台風の発生とその進路に関して心配します。講演に来ていただく方々や、月に1度訪問するクライアント企業の皆さんが待っておられるので、スケジュールは変更できません。
欠航が早めに分かれば、別の移動手段や時間の変更をしなければいけません。その日の移動は夕刻の便で、空港に向かうべきか、新幹線に変更すべきかと迷いながらの電話をかけました。
「西川様にお乗りいただく便は、既にそちらに向かって飛び立ちました。その折り返し便ですので、おそらく大丈夫とは思います」。その数日後にも同様の心配から、電話をしましたが、幸いにも両日とも予定便は飛び、無事に出張を終えることができました。
しかし、この2つの電話応対から学ぶポイントは多いと思います。受け答えをする側には、言ったことに対する責任が発生しては大変です。台風の進路やスピードも、その後に大きく関係します。
電話応対する方にも予測はできません。「飛びます」とはなかなか断言できない。そのことはお客様も理解していますが、それでも電話をしてくる。航空会社の欠航決定にも従わなければなりませんが、そうでなければ消費者が最終的には判断しなければならないのです。
その判断をするためのできる限りの情報が欲しいのです。2つの電話応対には、消費者にとって明らかな違いがあります。持っている情報の違いはありますが、どのように、何を伝えればお客様が安心するのか。これを知っていることが、大きな差を生み出すのです。
広島にあるタクシー会社が、翌日に配車依頼を受けていたお客様に電話をかけました。「今からお迎えに伺ってよろしいでしょうか。今ならご搭乗予定便の1本前の便にお乗りいただくことが可能です」。搭乗便は、広島から羽田空港行きです。広島も東京も快晴で、運航には何の支障もなかったのですが、搭乗する飛行機が、札幌空港からの折り返しで、その札幌が雪で折り返し便が欠航になったのです。つまり、搭乗予定の便が来ず、その前の便は既に広島空港に到着している状況でした。
タクシー会社は空港に送るお客様に関して、こうした情報を常に掴み発信しているのです。お客様と共に旅をする気持ちになれば、必要な情報は分かります。単にお客様の質問に答えるのではなく、この情報からご判断して下さい、といった可能な限りの情報提供こそがおもてなしとなるのです。
第68回
その当たり前に疑問符を持つ
~ブラインドで遮るものは~
出張帰りに二つの電車を乗り継ぎました。両方とも折り返しの始発電車です。乗客がすべて降りた後に、出発を待っていた人たちが乗り込みます。出発時間が迫って来た時に、車掌が両電車とも車内を点検しながら私の車両にもやって来ました。その作業には大きな違いがあったのです。
それは、同じ作業ですがまったく逆の行動を取っていました。1人は降ろされたブラインドをすべて開けながら、もう1人は、逆に開いているものを降ろしながら歩いていました。
降車する時に座席の状態を、元に戻しておくことは、利用者のマナーです。座席のポケットに入れたゴミ処理はもちろん、リクライニングシートや回転させた座席、降ろしたブラインドなどを元に戻しておくことです。
乗客がそれをしないで降りられた座席を、次の利用者のために準備しながら歩くことは、決められた行動なのでしょう。
ただ、真夏の昼過ぎで車内に差し込む日差しの強さを考えたら、果たしてブラインドを上げることが正しいことなのかどうか、と考えてしまいました。
宿泊するホテルでも同様のことがあります。日中に部屋の温度を上げる日差しを遮るために閉められたカーテン。窓の外には美しい風景が広がっているにもかかわらず、案内された部屋は薄暗く、確かにムッとした暑さはないのかもしれませんが、あまり雰囲気が良いものではありません。
そんな時の客室係の行動も2つに分かれます。決められた設備の案内をして出て行くか、窓に近づきカーテンを開けて、そのホテルの財産である窓の外に広がる風景を宿泊客に見せながら、「日差しが強いようですので、閉めておきましょうか」と改めて問いかけるか、です。
それぞれの行動には意味があります。スタンダードな行動マニュアルを徹底させ、すべてのスタッフで実行することは、企業の在り方として正しくもあります。
しかし、それは行動自体に意味があるのではなく、大事なのはその行動がお客様にとって価値を生み出せるかどうかです。
開け放たれたブラインドも電車が駅を出た途端に、大半の乗客がバタバタと降ろていました。お客様に喜んでもらいたい想いは、両者にあるのです。ただ、現場のスタッフがその想いをその時々に合わせて対応することが、できるかどうかです。
決められたルールを守る以上に、お客様の笑顔をイメージして取れる行動が重要です。合わせて、自分達の商品を利用してみることも大事です。当たり前に行っていた行動が正しいのかどうかを、自ら体験することも大切な仕事です。
第67回
お礼状はもらってから価値に変える
~デスクに置かれて終わり~
どこかで見たことのあるクセのある文字。私がそのホテルのスタッフに出したお礼状でした。ホテルのバックヤードを見学させてもらったときに、通路にたくさんの手紙と共に張ってあったのです。若干の恥ずかしさを感じながらも、その他の手紙も拝見しました。そこには宿泊客から寄せられたスタッフのおもてなしの素晴らしさや感謝、お礼の言葉がたくさん並んでいました。多くのスタッフが立ち止まり、読んでいるということです。
そこで一般的な企業との違いを考えてみました。普通個人宛ての手紙は、本人のデスクに置かれて終わりではないでしょうか。本人がお客様に返事を出しているのかどうかも企業として確認されていません。
企業によっては、朝礼などで成功事例として本人に発表してもらうケースや、その数によって表彰するところも増えて来ました。実は、こうした成功例をスタッフ間でシェアできる仕組みを持つことが、高いおもてなしを現場で実現できる意識を生み出すのです。
JR九州のななつ星が出発する日には、乗車されるお客様方からたくさんのお土産をいただくそうです。乗車後にはお手紙もたくさん届きます。この2つの企業に寄せられるお手紙やお土産の特徴は、スタッフの皆さん、あるいは、何々をして下さった方ではなく、多くは個人宛てに名前が記されていることです。つまり、お客様の記憶にスタッフの名前がしっかり残っている。もちろん、しっかり記憶してもらえる仕掛けが実行されているということでもあるのです。
一般的にお土産であったなら、手紙と同様に名前の書かれた本人に渡して終わり。くださったお客様にお礼を言って、スタッフのみんなに紹介をし、食べて終わりではないでしょうか。
大事なのは、その手紙やお土産が届いた後の仕掛けです。
ななつ星のチームでは、すべてを写真に撮り、その背景と共に記録、ファイリングするのです。お客様からのお礼の言葉を2つの面で忘れないためです。
それは、辛い時に思い出し励みにするためです。また、お客様との再会時に、改めてのお礼が言える記録のためでもあります。そして、最も大きな価値は、ひとつのお礼をいただく行動は、その行動を取ったスタッフひとりだけの勲章ではなく、スタッフ全員のチームワークによって実現したものであるという意識を生み、育てるためでもあるのです。
ビジネスを続けるなかで、スタッフはいずれ入れ替わります。しかし、ファイリングされたお客様からの感謝の言葉やスタッフが実行してきた一つひとつの行動が、迷った時の勇気や指針ともなるのです。
第66回
あなたの名前をお客様の記憶に残せ
~名刺とは何に使うものか~
「おもてなしでは、売上につながらないのです。西川さん」。
親しい方から以前に、そんな声をかけられ、非常にショックで、悲しい思いをしました。長く一緒に「人」づくりをして来た方だっただけに、その言葉を受け止めることができず、ずいぶん苦しみました。コストと手間をかけて、真実のおもてなしを探す旅が始まったのは、その時からです。
長い旅の途中で見つけた答えが、「おもてなし経営」です。7年程前のことです。その間、消費者として多くのサービスをいろいろな業界で受けて来ました。それは今も続けていますが、出逢った多くのおもてなしが、「やりっ放しのおもてなし」だったのです。
確かに、そのサービスには満足し、感動もありました。しかし、私が通い続ける大好きな場所とは、何かが違うのです。好きな場所と通い続ける場所の共通点を書き出すと、直ぐに分かりました。通い続ける好きな場所には「名前を呼べる人がいる」ということでした。
先日宿泊した福岡のビジネスホテルでは、チェックアウトした後にフロントスタッフが、タクシーに乗り込もうとする私を追いかけて来て、名刺を下さったのです。年間多くのホテルに宿泊しますが、こうしたリピーターづくりの行動を実行しているところはほとんどありません。
支配人からのメッセージカードが客室に置かれているホテルは多くあります。
しかし、逢ったこともないそのメッセージに、どれだけのお客様が心を動かされるでしょうか。「すべてのお客様に、直接逢うことが出来ないから」という言い訳が、本気でリピーターを創り出すことをスタッフに伝えきれない原因かもしれません。
名刺とは何に使うものなのでしょうか。お客さまを創造するために使うべきものです。
リピーターを創り出したいのであれば、どんどん名刺は渡すべきなのです。その1枚の名刺にも、当然コストはかかりますが、それを無駄にしないために、最幸のおもてなしでお客様を迎え、サービスを提供し、見送るのです。
それが「やりっ放しのおもてなし」にならないように、お客様の記憶に自らを残すのです。名刺はその1つの道具です。その名刺を渡すという行動こそが、全霊を傾けたおもてなしをお客さまにとって忘れられない、また来たくなるものへと昇華させる1つの大切なポイントなのです。
当たり前にとらわれて、できない理由を挙げていては、どんなに素晴らしいおもてなしが実行できても、そのリピートは偶然の産物に過ぎないのです。
経営とは、その確率を自らの行動で、数%でも上げることなのです。
第65回
あなたの行動をお客様の記憶に残せ
~家の前でバスが止まった~
約50年前の記憶がよみがえった感動の出来事がありました。それは、大分駅で偶然見かけた光景です。電車から降りた小学生が大きな荷物を肩から下げ、誰もいなくなったホームで乗り換えが分からずキョロキョロしていました。そこを通りかかったのが、折り返し電車の運転士でした。運転士は小学生に声を掛け、自分のカバンを階段の隅に置き、子供の荷物を持って階段を下りて行ったのです。
私はその行動を見た瞬間に、遥か昔の記憶が甦り。それは、まだ妹が母の背中に負ぶわれていた頃だと思います。母は両手に荷物を持ち、実家に帰る路線バスに乗っていました。
田舎の路線バスの停留所間は歩ける距離ではありません。実家は、家の前をバスで一旦通り過ぎてから徒歩で約10分、来た道を戻った車道に面していました。いつもここが家なのにと思いながらもバス停まで乗って、引き返していました。
その記憶の日は雨で、両手に荷物を持った母に、私が傘を差しかけ歩いてバスに乗り込んだのです。バスが実家の前に差し掛かったときです。擦れ違う車と行きちがうために、少し道が広くなった実家の前でバスが止まったのです。これまで何度か運転手に母は声を掛けていました。「家はここなので、降ろしてもらえませんか」と。しかし、「停留所以外ではダメなんです」と降ろしてもらったことはありません。ところが、その日はガタガタとドアが開いたのです。ウインクをするような運転手の笑顔が、大分駅の光景を見たときに半世紀を超えて思い出されたのです。
ルールは守らなければなりません。事故が起きたら、クレームが来たらと思えば、ルールは必要です。しかし、記憶の中に深く刻み込まれていたその運転手の笑顔を思い出した時の感動は、涙が出るほどに私の胸を熱くしたのです。
路線バス会社の幹部の方と話したときにそんな話をしました。すると、「実は我が社でも、そういった行動に対してのお客様からのお礼の言葉をもらうことがあるのです。ただ、称賛する訳にはいきません。ドライバーを呼んで指導します。でも、心の中ではよくやってくれたといつも思っています」。
幹部としては本当に難しいところだと思います。しかし、「指導はしても、厳罰を与えたことはありません」とのことでした。現場でできるおもてなし行動。そして、幹部としてできるおもてなし行動。ルールは守らなければなりませんが、ルールだけを忠実に守ることだけが重要なことなのだろうか。大分駅で見掛けた光景に、大切なカバンを見守り、戻って来られた運転士に思わず頭を下げていたのは私だけではなかったのです。
第64回
真のおもてなし行動には名前を呼ぶ意識が必要
~個に向かうおもてなし行動~
出張で航空機を使うことが多く、その中で数多くの感動体験をして来ました。移動中はなるべく休むようにしていますが、機内は乾燥していて自分でも分かるくらいに咳をしていることがあります。
ある日、降りるときに客室乗務員から笑顔で渡されたアメをもらい、モノレールに乗り換えてアメを食べようと小さなビニールを開いたとき、その中には小さなメモ用紙が入っていることに気がついたのです。
そこには「西川様、咳をされていましたが、お身体に気をつけてお仕事がんばってください」とのメモ書きがありました。感動の一瞬です。
忙しい乗務中にわざわざ私のために、メッセージを書いてくれたのです。
当時は機内で名前を呼んでもらうことが当たり前のようにありました。ところが最近、名前を呼ばれることがほとんどなくなりました。
代わりに繰り返されるのが「お客様」という言葉です。
「お客様、お客様・・・」。誰に向かって声をかけているのか、分からないときもしばしばあります。でも、顔を上げるまで呼び続けています。
機内で食事が出る席を利用することもありますが、私はほとんど寝ていて食事をとりません。すると降りる時に「お客様、お休みのごようすでしたので、機内でのサービスを控えさせていただきました」と、毎回のように同じ言葉がかけられます。
どんなに咳をしていても、以前のようにアメを渡されることもなくなってしまいました。そのこと聞いてみると、名前を呼ばれることを嫌がる人からの声が届いたということでした。
確かにそういう人もいるでしょうが、少なくとも私は、名前を呼んでもらうことを心地好く思っていました。
名前を呼ぶ人と呼ばない人を、分けて対応すればよいだけのことです。それを均一的に呼ばないことで統一してしまうと、別のところに大きな弊害が出て来てしまうのです。
一人ひとりのお客様の名前を呼ぶという習慣をなくすと、お客様への興味が薄れ、身に付けた接客力でサービスを提供することだけに意識が集中してしまうのかもしれません。つまり、個としてのお客様が見えなくなってしまうことです。
笑顔があり、身のこなしも、言葉使いの教育された素晴らしいものであっても、それがどんなに高いレベルにあったとしても、誰に対しても同じという均一的なサービスからは、感動は生まれません。
同じ行動であっても、名前という最幸の言葉を加えて実行しようという意識が、個に向かうおもてなし行動を生み、その行動を輝かせるのです。
第63回
名前というバトンを使ったおもてなし~“おもてなし”を引き継ぐ~
朝食でフロント階に下りたとき、驚くほど素敵な声を掛けてもらいました。それはエレベーターホールから朝食会場に向かう途中、5メートルほど離れたフロントからの声でした。
「おはようございます。西川様」。その瞬間「あっ、おはようございます」と返事をしながら、思わず笑顔になる私がいました。頭の中では「?」が残りました。
おそらく初めての体験です。どうして私の名前が分かったのか。はじめての滞在です。チェックイン時に対応したスタッフでもありません。宿泊客が少ない訳でもないのに、どうして名前を呼べたのか、直接聞いてみました。
すると「別のホテルに勤務していたとき、一度お逢いしたことがあります。西川様のお名前を見つけて、お逢いできるのを楽しみにしていました」。確かにそのホテルは何度か利用しましたが、残念ながら彼の記憶がありません。
「どの部署におられましたか」と聞くと、「ドアマンでした」と言われ、わずかな接点のなかで記憶してくれていたことに驚きました。会ったのは約1年前の1度だけだったのです。
エレベーターを降りてきた私を見つけて、フロントから急いで飛び出し、わざわざ声を掛けてくれた彼の行動の想いが分かりました。「逢いたかった」という想いを持った彼の行動に、私は笑顔になったのです。
想いは伝わらなければ、はじめからなかったものと同じです。想いを伝える行動が大切です。呼ぶ名前に、その想いを込めることが、最も効果的なのです。
さらに、笑顔で食事をしていたときに、もう一つの「?」が湧きました。実は、名前を呼んでくれたスタッフは別にもいたのです。テーブルに案内してくれたスタッフが「西川様、おはようございます。食事はブッフェスタイルになっておりますが、お飲み物は何をお持ちしましょうか」と、名前を呼んで話しかけてきたのです。
それまでに、そのスタッフと会ったことはありません。ここに2つ目のおもてなし行動のヒントがあったのです。
誰かがお客様のお名前を呼んだとします。その瞬間に次のスタッフがその名前というバトンをしっかりと受け取って、行動するということです。
「あのお客様は、西川さんと言う方なんだ。それでは私も名前を呼んでみよう」。一人のおもてなし行動を他のスタッフが引き継ぎながら、小さな感動を大きな感激へと育てて行く。
その行動は、インからアウトまでのすべての滞在時間の価値を高めることにつながるのです。そして、仮に持っていた小さな不満をも満足に上書きして記憶されるのです。
第62回
自社の価値を高めるパートナー企業~主催者のお客にも興味を~
毎年たくさんの講演依頼をいただき、全国各地に伺っています。主催者も企業や行政、組織団体と幅広く、観光とはまったく畑違いの業界の方々からもお声掛けいただいております。
そんななか、旅館の方からスタッフだけでなく、パートナー企業の方々も交えた年1回の総会時に、熊本で講演をしてほしいと依頼を受けました。会場は熊本市内のホテルと決まり、当日は博多から新幹線で熊本に向かいました。
駅では主催者の方が迎えていただき、タクシーで会場のホテルに向かったのです。
到着してタクシーから降りたとき、「西川先生、お待ちしておりました」と感動の一言で迎えられました。声をかけてくれたのは、ホテルスタッフでした。
先に降りた主催者の方が名前を伝えたのかと思いましたが、そうではありません。控室まで向かう間も、ホテルスタッフと出逢うとみんなが名前を呼んでくれるのです。お茶を持ってきたスタッフやトイレの場所を聞いた人も、名前を呼んでくれました。
これまでも多くのホテルを会場に講演の機会がありましたが、主催者以外に会場となったホテルのスタッフから名前を呼ばれたのは初めての体験でした。まるでこのホテルに講演で呼んでもらったように感じました。
素晴らしいスタッフのホテルとの出逢いに、心から感謝したい思いです。おかげで講演にも力が入りました。
会場となるホテルにとって、お客様はあくまで主催者です。そこに呼ばれて講演する私は主催者のお客です。それがホテルのお客様として対応された経験は今までありません。このホテルを選ばれた主催者の選択に拍手です。
これまでのホテルは、たまたま会場として選ばれたと思うだけで、主催者に対する気遣いはピリピリとしていても、ホテルに到着して「西川です」と言っても「ご宿泊のお客様ですか」と問われるばかりでした。
誰が講演をするのか、といったことにほとんど興味をお持ちではないように感じていたのです。
お客様が大切にされる方を自らのお客様として興味を持ち、その想いを行動に移す。それは主催者の株を上げることにも当然つながる行動です。
講演が終わりホテルを後にしたときも、主催者同様にタクシーが見えなくなるまで見送りをして下さいました。
また、タクシードライバーも、講演の仕事を終えての帰りというと、ホテルから駅までの道中に気遣いの言葉を何度も掛けてくださいました。
こうした同じ想いを持てる企業をパートナーに選びたいものです。
第61回
リピートされて真のおもてなし~お客様の記憶に残す~
毎日多くのお客様をお迎えするなかでいかに満足いただくおもてなしができるか、常に考えておられると思います。そのためにスタッフの研修や教育を行うことで、どのホテル、旅館でも心地好い滞在が約束されています。
その成果をはかる目安がお客様満足度アンケートで、その数字には一喜一憂されていると思います。しかし、顧客満足度と個客リピート率が一致していないという話をよく聞きます。本当に注目すべきなのは、個客のリピートです。お客様の記憶に残り、またここに泊りに来たいと思わせるスタッフ行動こそが真のおもてなしなのです。そのポイントは、お客様の記憶にあなたを残すことです。
そんななか、パークハイアットのエントランスでお客様を待つスタッフの行動に、これまでの滞在で持っていた印象が大きく変わりました。タクシーから降りるとスタッフから「ご宿泊のお客様ですか。お名前を伺えますか」と聞かれました。「西川です」と応えると「西川様ですね。本日はご宿泊いただきありがとうございます。では、フロントまでご案内します」「西川様、こちらにどうぞ」と館内に案内されました。
「西川様、フロントは41階となっております」。名前を伝えた瞬間から私は「お客様」ではなく、「西川」という一個人となったのです。名前を呼ぶという最大のおもてなし行動を入口で取ってもらったことで、その後の滞在時間をより心地好く過ごすことができたのです。同時にそれは、教育、研修したすべての行動をより輝かせ、私の心に残すものとなったのです。
もう一つの例は、丸の内ホテルのチェックアウト時のことです。その日は時間がなく楽しみにしていた朝食を取らずにホテルを出発することになりました。朝食クーポンを鍵ケースに残したままフロントに鍵を返しました。これまでは、スタッフがカードキーと朝食クーポンをケースから引き抜き、機械に通してから、客室での飲み物やスナック利用の有無を聞き、ない場合は「それでは追加の請求はありません。ありがとうございました」とチェックアウト手続きが完了するのです。
ところがその日は、「朝食はこれからでしょうか」とコートを着てカバンを持った私に声を掛けてくれたのです。「「いえ、もう出発します」と返すと「では、少しお待ちいただけますか」と一旦バックヤードに下がり、小さな紙袋を持って現れたのです。そして「お荷物になるかもしれませんが、簡単なサンドイッチをご準備させていただきました。お持ちいただけますか」と手渡したのです。最後に印象付けるこうした2つの瞬間のおもてなし行動が、リピートしてもらうためのおもてなしとなるのです。
第60回
個を想うおもてなし~真に相手を笑顔にする~
「西川さん、ようやくお越しいただける店ができました。ぜひ来て下さい」。数年前まで毎月のように通っていたレストランのシェフから、うれしい連絡がありました。「新しい店を開きたい」と、それまでの店を閉めてから3年近く経っていました。
国内外でたくさんのレストランのプロデュースをしていて、なかなか拠点となる店が持てないという話は聞いていました。「すぐにでも逢いに行きたい」という想いから、予約して伺うことにしました。ところが急な出張が入り、その日は残念ながらキャンセルをしなければならなくなったのです。
次の予約も同様に行くことができなくなりました。そして、ようやく3回目に夢が叶って、約3年ぶりにそのシェフの料理をいただくことができたのです。
美味しい料理と楽しい会話に心もお腹も十分に満たされたころ、「西川さん、まだ大丈夫ですよね」と笑顔で言葉を掛けくれました。「もちろんです」と応えたものの、「食べられるかな」と若干の不安はありました。
そして、出されたお皿には、美味しそうな肉料理が盛り付けてありました。何という料理なのかとメニューボードを見上げていると、「メニューにはないですよ。西川さんのために用意した特別料理です」と言われ、驚いて思わず手を合わせたくらいです。
それは本当に美味しい鹿のランプ肉でした。柔らかく、レアーに近いにもかかわらずナイフを入れても血が出ません。低温で何時間も下準備をしたそうです。「見てみますか」と言って、その肉の塊を冷蔵庫から持って来て見せてくれました。
肉の塊が入ったビニールを見た時に、思わず涙が溢れるくらいの感動をしたのです。そこにはなんと、「西川さん用」と書かれていたのです。何日も前から私が行く日のために用意されていたのです。その心遣いに胸がいっぱいになり店を後にしました。
私は過去2回も予約をしながら、急な出張の都合で伺えなかった。ひょっとすると、その日にも同じように何日も前から私のためになかなか手に入らない肉を手配して、手間のかかる料理を準備していたのかもしれません。そのおもてなしを感じた時に、溢れる涙が止まりませんでした。
おもてなしとは、個を想う行動です。それは自らの動作、振る舞いを美しく、あるいはカッコ良く見せるマナー行動などではありません。ましてや自分の行動を良く見せるためのものではありません。
真に相手を笑顔にする行動とは、相手を想う心があるから生まれるのです。そして、その行動こそがお客さまの記憶に残るものとなるのです。